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2015.04.26 (Sun)

ブログ、お引越しします

ご覧くださっている皆様へ

本当に拙い拙い文章をつづったこのブログをご覧くださって
ありがとうございます。

最近表示がなんだかオカシイ…ということもあって
ブログをお引越しすることにしました。

http://clasba.exblog.jp/

これまで「くらすばワークショップスタッフブログ」として
別に設けていたブログも統合します。

良ければ引き続きお付き合いくださいませ^^。

ありがとうございます♬

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14:07  |  徒然

2015.03.26 (Thu)

澄まし処@福岡にむけて

福岡をはじめ、佐賀・山口からも7人の方がご参加くださることになりました。
本当にご縁が有難いです。

ご案内文章を今読み直して、もう一度ここに掲載させていただこうと思いました。

「澄まし処(すましか)」
~“耳を澄ます聴き手”のはたらきを観察する会~について
(「澄まし処」のことを初めて耳になさる方をイメージして)

<「ゼロ」で居たら、の、確認>

今、コミュニケーションについてはたくさんの学びの場がありますね。

その多くは、知識や技術などを身につけ、トレーニングを重ねて、
自分がよりよくなることで、相手との関係性を改善していこうというもの、と捉えてよいと思います。入門編から上級編までの道筋があって、初心者がいれば上級者がいます。

私も長年、「よりよい自分」を思い描いて、
今の自分を見つめ、そのギャップを埋める、ということを良しとして
生きてきました。今もほぼ、そうしています。
まあ、実際ギャップは全然埋まらなくて、挫折してばかりですが…^^;。

「今も“ほぼ”、そうしている」と書いたのは、
そうじゃない時間を時々、持つようになったから。

例えば、相手の話を、質問せず、励ましもせず、意見もせず、
ただ耳を澄まして聴く。

一定の時間、「自分」をできるかぎり引っ込めて、
更地にして、ゼロになって、居る。
そうすると、相手はどんなふうになっていくでしょう。
相手と自分の関係は、どうなるでしょう。

コミュニケーションにおいて何をしたらいいか、を学ぶなら、
何もしなかったらどうなるか、という、ゼロ地点もみておくのは
興味深いことではないかなあと思います。
そして私にとっては、その世界は、とてつもなく豊かでカラフルです。

そこで私が「観察」してきたことから二つのことを、
ちょっと紹介してみたいと思います。
(今後もそうかどうかはわかりませんが…。)

<問わず語りから、自問自答へ>

語り手は、聴き手から何も問われないので
「問わず語り」に語っていきます
(ほんとの意味での「問わず語り」とはちょっとニュアンス違うかな)。
もちろん語らなくてもいい。

そうするとだんだんと不思議なことに、
自分で自分に問いかけるような言葉が出てきます。
そして問われれば、答えようとする動きが生まれます。
自然に。

<自分の中の、手つかずの森に入る>
一度口に出したみた言葉も、
より正確にフィットするように言いなおすような動きが出てきます。

その人独自の言葉、独自の感覚。
それを聴き手はそのまま聴きます。

そうしていると、語り手は「自分の中」と呼ばれる部分を
表現するようになっていきます。

…なっていきます、なんてなんか断定的でちょっとためらわれますが、
「伐採」(否定)されたり「植え直したり」(アドバイス)されない、
それは、「手つかずの森」「鎮守の森」みたいな感じです。
(「手つかずの森」「鎮守の森」は橋本久仁彦さん※の表現です。
参考:「くらすばオフィス」 
「お話、聴かせていただきました」のページ。)

<見えるものはさまざま、な「観察会」>
こうしたことを、実際の逐語記録を通して
丁寧になぞりながら「観察」していくのが「澄まし処」です。

この観察会、一人ひとり、「立っている場所」も「視力(観察眼)」も違うから、
きっと見えるものは様々です。
ある人に見えたものが他の人には見えないかもしれないし、
見えなかったものが後で見えるようになることも、あるかもしれません。
それを出し合ってみよう、という時間です。

そしてこの会は「耳を澄ます聴き方をしましょう!」という
方向性をもった会ではない、ということもお伝えしておきたいです。

あくまでも、どうなるか、を「観察」することが主眼であり、
それを皆さんが採用するかしないかについて、こちらは踏み込みません。
それに本当は聴き方というのは一人ひとり全部違うものですから…(^^)。

※「澄まし処」は、橋本久仁彦さんに学んでいる
「ミニカウンセリング・トレーニング」にならって行うものです。
橋本さんや、橋本さんの場でご一緒した皆様に感謝をこめて。

 くらすば (「暮らす場」の意味です)吉橋久美子
21:29  |  徒然

2015.03.23 (Mon)

場をひらく人講坐 春の陣

昨日までの三日間、おかげさまで、「場をひらく人講坐 春の陣」を
開いて、閉じる、ことができました。

”場をひらく”みなさまが各地からご参集くださり、
ミニカウンセリングトレーニング、円坐、そして影舞をしながら
「耳を澄ます場づくりのための居ずまい・佇まい」について
探求し、お互いを映しあうような時間となりました。

橋本 久仁彦さん、ご参加くださったみなさま、
応援してくださったみなさま、誠にありがとうございました。
共同主催の長江 賢太郎さん、楽しかったねえ(^-^)。

参加された方々の面影と、
いく つものシーンが胸に刻まれています。

大きな金木犀の下やはなれで行った影舞や円坐の静けさ、
その静けさのなかで響く鳥の声と風に揺れるカーテンがわりの大きな布などを
思い出しています。
みんなで家族のように食卓を囲んだ賑やかなひとときも。

今、少しさびしいけれど、みなさんとともにすごした時間の
存在感は確かなものなので、満たされている感じがあります。

私は最後の円坐のとき、
影舞舞台の横で朗読することになった
新美南吉の短編「きょねんの木」について
少し語らせてもらいました。

こんなお話でした。

なかよしの木に「来年また歌を聴かせて ね」と言われてわかれた小鳥が
南方から戻った時に、そこに木はありませんでした。

木は伐られて谷の工場にもっていかれ、マッチになっていたのです。

工場の門に木の行方を尋ね、そのマッチが売られていった村に
小鳥がたどり着いた時、
マッチはランプの火となり燃えていました。

「小鳥は、ランプの火をじっとみつめておりました。
 それから、去年の歌をうたって火にきかせてやりました。
 火はゆらゆらとゆらめいて、こころからよろこんでいるようにみえました。」

ミニカウンセリング・トレーニングで
橋本さんに学ばせていただいた
「語り手の言葉を歌のようにそのまま聴き、そのまま共に歌う」、
それは「語り手の行く道を”辿る”」ことなのだということと
重なるなあと思いました。

木が辿った同じ道を小鳥は辿り、
そして木の最後の時間に、
木と小鳥がともにすごした「去年の歌」を歌ったんだなあ…
そうすると、「火はゆらゆらとゆらめいて、
こころからよろこんでいるようにみえ 」たんだ。

前夜の話題から急に朗読をすることになった
絵本の中の短編でしたが、
その符合に驚き、心に刻んでおこうと思いました。

講座は四季をめぐります。今度は恵那!
楽しみです。
(夏の講座は満員で、秋と冬はまだ空いています(^-^))
20:34  |  徒然

2015.02.12 (Thu)

あなたからはじまるファシリテーション

あちこちで現場を持っておられるファシリテーターYさんと
「あなたからはじまるファシリテーション」ワークショップ構想(?)について
考える時間をもたせていただきました。

とても学びのおおい時間でした。

私はファシリテーターを一旦休止して、また復活したけれど、という
ちょっと斜に構え(?)ちゃっている立ち位置ですが
帰宅してあれこれ考えています。

ファシリテーションは目的ではなく、
手段の一つ、通り道のひとつみたいなもので、
目的は会議であったりコミュニケーションを、よりホンモノみたいなものに
ちかいものにすること、かなあと思います。

なのでファシリテーションと呼ばれていることをしなくてもいいし、
それを超えることも必要になって来ると思います。

”ファシリテーションの「手間側」と「向こう側」”、みたいなキーワードもうかびました。
14:43  |  徒然

2015.02.09 (Mon)

自立させる

依存、について考えていて…

依存させちゃダメ、相手を自立させなくてはっていったとき、
「させる」ならば、既にそれは
「自ら立つ」「自ずと立つ」ではなくなっちゃうわけで…

うんうん。そうだなあ…。

12:27  |  徒然
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