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2012.04.25 (Wed)

もう少ししてからっぽになったら

まだ広島時代の「宿題」がいくつか残っています。

くらすばワークショップのニュースレターづくり。
リスニングセッションの冊子作り。

両方ともやりたくてしょうがない宿題です^^

で、それらが終わってからっぽになったときのことを
ついつい考えてしまうけれど…

次なにするの、場所どうするの、
やりたいことはいろいろあるけど
手掛かりがないぞ、はー…と思ってしまったり…。

でももう少しからっぽ状態が保てればいいなあと
思ったりもします。

出会いを待つ気持ちになれたらいいなあ。
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22:50  |  器のからっぽ

2012.04.15 (Sun)

手離して、手離して…

2年前、更新せずにいようと思った
コーチングの資格。
ご縁があって、更新したのですが
このたびの更新はせずにいようと思います。

私には別の「在り方」があることが
わかったので。

こうやって学んでは手離して…を
繰り返しているなあと最近思っていました。

建築のこともそうだし
コーチングも。

市民活動も一定の経験を積んではまた
ゼロに戻すようなことで。
(環境カウンセラーの名前もお返ししたし…)

転勤族の妻として
住む地(もちろんそこでの人間関係も)も離れたし…

社会人としては最も働き盛りの40代でしょうけれど
私は手離して手離して、きたように思います。

自戒も込めてそう手紙に書いたら
尊敬するその方は
「手離してるんじゃなくて
 広がっているように思うよ」とお返事をくださいました。

手離して手放せば、広がっていくのかな。

何かを得るためには
今持っているものを手離さなくちゃ。

でも「からっぽ」を目指すなら
何かを得ようとさえ、しなくてもいいのかもしれないなあ。

「からっぽ」を「目指す」こと自体が
欲かもしれないけれど…
02:02  |  器のからっぽ

2011.11.28 (Mon)

『この世界の片隅に』こうの史代著

呉YWCAからの帰り道、お借りした漫画を
必死で涙がこぼれないようにしつつ読みふけっていました。
呉と広島の戦時中のお話。

大好きな呉線の海の景色を見ずじまいであっというまに
広島についてしまいました。

YWCAの木造の面白いデザインの建物の写真はまた
ご紹介したいのですが、
その漫画『この世界の片隅に』(下)にでてくるセリフ。

「生きとろうが死んどろうが、
 もう会えない人がおって、
 ものがあって、うちしかわからんその記憶がある。

 うちはその記憶の器として
 この世界に在り続けるしかないんですよね」

呉での空襲で、
手を引いて歩いていた姪っ子を、
自分の右手とともに失った主人公の言葉です。

人は器ではないか、っていうことが
気になっていて、

物事を受け入れたり、受け入れられなかったり、
する人間は、器みたいだと思っていましたが

記憶の器、という言葉も心に響くものがありました。

罪悪感や後悔でもう死んでしまいたい、と思っても
自分が記憶の器であると思えば、
生きていく価値がまた見出されるように思います。
15:38  |  器のからっぽ

2011.09.24 (Sat)

神谷美恵子さん

『生きがいについて』著者の神谷美恵子さん、

その名前で検索すると

「器の人」という言葉が
冒頭に書かれたサイトがヒットしました。


「私の一生は


 ただ恵みをうけるための


 器であった」

とありました。

22:58  |  器のからっぽ

2011.09.24 (Sat)

「間づくり」

場づくり、っていう言葉があるけど
私は「間づくり」って言ってみようかなあ…
「間」が面白いです。


「人間」と「時間」「空間」について。

 時という間  時=間

 空という間  空=間

ということが成り立つなら、
人間…”人という間” 人=間 も成り立つかも??

数式で考えたら、「間」によって、「人」と「時」と「空」が
つながるから 

間=時=空=人=間

って、成り立つでしょうか^^
22:54  |  器のからっぽ
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