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2015.04.02 (Thu)

問わずがたりの物語

「問わずがたりの物語」

先月は2冊の冊子を作らせて いただきました。
15分、できるかぎり耳を澄まし、時に相手の方のおことばをなぞる。
そしてそれを活字にして一緒に読み解く(ことほぐ)。最後に、本にする。

完璧にできているとはとてもとても、口が裂けてもいえないけど、勇気をだしてこのことをすることで、これまで本当によいご縁をいただいています。

さて、今まで、「はなす•ま」という名でおこなっていましたが、心機一転、
「問わずがたりの物語」と名付けたいと思います。
テーマがないので、なにをしゃべってもいいし、しゃべらなくてもいい。
でもその十五分は本当に物語のような味わいになります。

ただ、この名付けにはちょっと注釈が必要で、聴き手からは問われないけど、実は自問、自答、がおこったりするのが興味深いのですが(^-^)。

冊子を受け取ってくださった方からメッセージをいただきました。
嬉しすぎるのでご了承をえて、ここに記します。ありがとうございます(^-^)。
〜〜〜〜〜
先日、「本」を受けとりました。お忙しい中ありがとうございます。ていねいに、やさしく、心を込めてつくっていただいたことが、本から伝わってきます。1ページ1ページめくっていくと、しみじみと本への、そして私へのいとおしさがわいてきました。本当にありがとう♪

(上記のメッセージのシェアをオッケーしてくださったあとのメッセージ)

「今、ここにいる私」「一歩踏み出したいと思っている(笑)私」の大切な1冊です❤
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11:01  |  聴く

2015.01.25 (Sun)

まるで、自分自身に語りかけているのと同時に

「まるで、自分自身に語りかけているのと同時に
世界中の人達に語りかけているような、生まれて初めての感覚です。」


3月28日の「澄まし処(すましか)@福岡 ~耳を澄ます聴き手のはたらきを観察する会~」
福岡の方が関心をもってくださった時点で
「開催決定!」、でしたが他にも参加表明をしてくださった方がいて、
心から楽しみにしています。

15分の逐語記録のレビュー(読みとき・言祝ぎ)をすると
いつも目を見開かされるようなドラマが見られ、発見があります。

15分聴いた時点・語った時点ではよくわからなくて
テープ起こしをしてもまだしっかりわからなくて
丁寧に真剣に読み解こうという場があって
私ははじめてたくさんのことに気付きます。
(そうやったあとも、気付いていないことがまだまだあると思いますが…)

そしてつくづく、「耳を澄ます聴き手がいる場」は
日常ではみられない場であるなあと思います。

たとえば、「相手に分かってもらおうと思わずにいられる」ということ。
これは、よりよいコミュニケーションのために努力しよう、という
ごく当たり前に言われていることから全く外れています。

その15分を体験してくださった方にいただいた文章を
紹介させていただきます^^。(「はなす・ま」のご案内チラシから)
「まるで、自分自身に語りかけているのと同時に
世界中の人達に語りかけているような、生まれて初めての感覚です。」
(Nちゃんありがとう!!)

「わたし」の物語 ===========
 
人は毎日のように誰かと会話をします。
けれど話し相手がいると、必ずと言っていいほど
言葉を探してしまいます。
相手はどんな話題を好むのだろう?とか
どうやったら笑わすことができるだろう?とか
話すのが好きな人なのか、聞くのが好きな人なのか?…などなど。

カウンセリングの時でさえ、一般的なスタイルでは
この言葉探しから完全に逃れることは出来ません。
ついつい相手の期待している言葉を探してしまうのです。

でも15分のリスニング・セッションは、そういった
言葉探しを全く必要としない、とても不思議な時空間。
言葉が自分の心から自然と湧き出てくるのを待てばいいだけでした。

キョロキョロと言葉を探す必要がないぶん、意識を
自分の心だけに真っすぐ注ぐ事ができるというのは、とても新鮮な体験でした。
まるで、自分自身に語りかけているのと同時に
世界中の人達に語りかけているような、生まれて初めての感覚です。


そして、一冊の本として出来上がった
「わたし」の物語を読んでみると、そこに自分の本性を感じました。
下着さえ着けていないハダカの心…ちょっと恥ずかしい…。
けれど、家族や友人はもちろん、自分自身のことさえ
あまり理解できていない私にとって、これ以上の参考資料は
存在しないように思いました。

(個人的には)、また3年後とか5年後とか、定期的に
この15分の「わたし」の物語本を作って頂こうと思っています。
日記のようなものを捨てずに保管しておくと、場所をとる
だけでなく、文章量が多すぎて読み返すことができません。
でも、この小さな一冊の本なら一生モノ。
その時期の想いがギュっと濃縮して詰まっているので、
いつでも読み返すことができます。

慌ただしい日常生活に流されて、自分らしい道から
それてしまった時、この「わたし」の物語を読み返せば、
迷わずに本来の道に戻ることが出来そうです。
この先、年月を経るにつれて、私の「わたし」の物語が
どんな風に変化していくのか、今から楽しみです。
きっと、人生経験を糧にして少しずつ変化していくのでしょう。(より美味しく熟成していってくれたらいいのだけれど…)

(フェイスブック イベントページ)
https://www.facebook.com/events/1530352550562323/?context=create&previousaction=create&ref=2&ref_dashboard_filter=upcoming&source=49&sid_create=2851073346
08:30  |  聴く

2015.01.19 (Mon)

澄まし処@福岡^^

一生懸命書いたら超・長文になりましたm(__)m

ご案内ですm(__)m ■■「くらすば 澄まし処 」 @福岡■■
 ~“耳を澄ます聴き手”のはたらきを“観察”するひととき~

◎日程:2015年3月28日(土)12:00~16:00 (ランチ&デザートタイムも)
◎場所:カフェ&ギャラリーあんど https://www.facebook.com/Kafegyarariando

住所: 〒814-0113 福岡県福岡市城南区田島3丁目10−19 電話:092-515-6158
(カフェの一角をお借りして行います。周囲の話声が聴こえる状況であることをご了承ください。縁あってご紹介いただいたカフェです。とても良い場所のようで楽しみにしています)

◎内容:質問や意見をはさまず、そのまま「耳を澄まして聴く」ことが
語り手にどんな影響を及ぼすのかを“観察”します。
(カウンセラー橋本久仁彦さんが全国各地で行っている「ミニカウンセリング・トレーニング」の手法に倣っています)

◎やり方:
事前に録音およびテープ起こしをした逐語記録の読み解き(レビュー)を
行います。
通常は参加して下さる方同士で録音することも講座内で行い、
テープ起こしをしていただきますが、
今回は初めての@福岡、そして1デイということで
事前に逐語記録を準備します。

◎対象:「そのまま、聴く」「寄り添って聴く」ことに興味のある方 どなたでも
◎定員:5名
◎会費:3,000円+ランチ&デザート代1,380円
(ランチ&デザート代は「あんど」さんに直接お支払いいただきます)
◎お申込・お問合わせ:gclasba@gmail.com 090-4142-8854吉橋久美子 
◎締切:2月25日

◎募集します! 事前録音に協力して下さる方(skypeできる方)
聴き手・もしくは語り手をお願いします。
吉橋がお相手をさせていただきます。
本当は直接お会いすべきですが今回はスカイプにて。

========================
「澄まし処(すましか)」
~“耳を澄ます聴き手”のはたらきを観察する会~について
(「澄まし処」のことを初めて耳になさる方をイメージして)

<「ゼロ」で居たら、の、確認>

今、コミュニケーションについてはたくさんの学びの場がありますね。

その多くは、知識や技術などを身につけ、トレーニングを重ねて、
自分がよりよくなることで、相手との関係性を改善していこうというもの、と捉えてよいと思います。入門編から上級編までの道筋があって、初心者がいれば上級者がいます。

私も長年、「よりよい自分」を思い描いて、
今の自分を見つめ、そのギャップを埋める、ということを良しとして
生きてきました。今もほぼ、そうしています。
まあ、実際ギャップは全然埋まらなくて、挫折してばかりですが…^^;。

「今も“ほぼ”、そうしている」と書いたのは、
そうじゃない時間を時々、持つようになったから。

例えば、相手の話を、質問せず、励ましもせず、意見もせず、
ただ耳を澄まして聴く。

一定の時間、「自分」をできるかぎり引っ込めて、
更地にして、ゼロになって、居る。
そうすると、相手はどんなふうになっていくでしょう。
相手と自分の関係は、どうなるでしょう。

コミュニケーションにおいて何をしたらいいか、を学ぶなら、
何もしなかったらどうなるか、という、ゼロ地点もみておくのは
興味深いことではないかなあと思います。
そして私にとっては、その世界は、とてつもなく豊かでカラフルです。

そこで私が「観察」してきたことから二つのことを、
ちょっと紹介してみたいと思います。
(今後もそうかどうかはわかりませんが…。)

<問わず語りから、自問自答へ>

語り手は、聴き手から何も問われないので
「問わず語り」に語っていきます
(ほんとの意味での「問わず語り」とはちょっとニュアンス違うかな)。
もちろん語らなくてもいい。

そうするとだんだんと不思議なことに、
自分で自分に問いかけるような言葉が出てきます。
そして問われれば、答えようとする動きが生まれます。
自然に。

<自分の中の、手つかずの森に入る>
一度口に出したみた言葉も、
より正確にフィットするように言いなおすような動きが出てきます。

その人独自の言葉、独自の感覚。
それを聴き手はそのまま聴きます。

そうしていると、語り手は「自分の中」と呼ばれる部分を
表現するようになっていきます。

…なっていきます、なんてなんか断定的でちょっとためらわれますが、
「伐採」(否定)されたり「植え直したり」(アドバイス)されない、
それは、「手つかずの森」「鎮守の森」みたいな感じです。
(「手つかずの森」「鎮守の森」は橋本久仁彦さん※の表現です。
参考:「くらすばオフィス」サイトhttp://space.geocities.jp/clas_ba/ 
「お話、聴かせていただきました」のページ。)

<見えるものはさまざま、な「観察会」>
こうしたことを、実際の逐語記録を通して
丁寧になぞりながら「観察」していくのが「澄まし処」です。

この観察会、一人ひとり、「立っている場所」も「視力(観察眼)」も違うから、
きっと見えるものは様々です。
ある人に見えたものが他の人には見えないかもしれないし、
見えなかったものが後で見えるようになることも、あるかもしれません。
それを出し合ってみよう、という時間です。

そしてこの会は「耳を澄ます聴き方をしましょう!」という
方向性をもった会ではない、ということもお伝えしておきたいです。

あくまでも、どうなるか、を「観察」することが主眼であり、
それを皆さんが採用するかしないかについて、こちらは踏み込みません。
それに本当は聴き方というのは一人ひとり全部違うものですから…(^^)。

※「澄まし処」は、橋本久仁彦さんに学んでいる
「ミニカウンセリング・トレーニング」にならって行うものです。
橋本さんや、橋本さんの場でご一緒した皆様に感謝をこめて。

 くらすば (「暮らす場」の意味です)吉橋久美子
21:38  |  聴く

2015.01.05 (Mon)

ただ聴くしかない時

今ひとつ、ミニカウンセリング(「澄まし処」「はなすま」という名前でも行っています)の
テープ起こしを終えました。

「生きること」に関する命の言葉。

テープを起こしながら、3回くらい、涙がにじみました。
ただ聴くしかない、それらの言葉を
ただ聴かせていただいて、よかった、と思っています。

ありがとうございます。
18:58  |  聴く

2014.12.18 (Thu)

「作者は何を言いたかったのか」みたいなことがない

<明日は澄まし処>
くらすばタテルカ・お菓子の家づくりが延期になったので
ちょっと昨日のことを書きます。
それから、散歩に行こう(^^)!!!

昨日は「二人澄まし処」でした。
(グループでやっている澄まし処をお休みした方と二人で行うレビュー)。

「澄まし処」のレビューは、現れた言葉を丁寧になぞっていきます。
(現れなかった言葉や、そもそも、その言葉を発した「語り手」そのものに
敬意を払いながら…)

文字になっていないものが私に見えていて、
それを伝える、っていうものじゃないので
そのことは私にとってはとても「現実的」な感じがしています。

そんな話をしてました。

相手の方はいつも味わい深い言葉を下さる方なのですが
昨日はこんなことをおっしゃっておられました。

「国語のテストで〝文章を読んで作者の思いを答えよ”みたいな、
書かれていないことを問う問題があるけど、澄まし処はそれじゃあないよね。
現れているものを、そのまま、聴いて、読みとくってこと」

なるほど、と思いました。
作家自身がそんな問題を解いてみて
「いやいや、この正解、違うデショ!!」ってことがあるって
いつかエッセイで読んだ気が…^^。

一方で、見えていなかったものが見えてきた気がする、っていうことも
昨日の方はおっしゃられて、それはこんな感じ…。

実際にそこにあって、視界に入っていたのに、見えていなかったものが
見えてくる。

たとえば、今私は市民記者のオシゴトで野鳥観察のことを
書いてるのですが、野鳥の写真を撮ろうと思って道を歩くと
急に鳥の鳴き声が耳に入ってくるし、
鳥を追う目、集中力はいつもとは全然、違ってきます。
いつもの道なのに。

その意味で「見えていなかったものが、見えてくる」感じなんです。



14:23  |  聴く
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