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2010.03.24 (Wed)

ただの人

『教えることと学ぶこと』林竹二×灰谷健次郎 倫書房
p214~

林 灰谷さんは、いまでも「私は教師だ」といばっているようだけど、教師を辞めて、ぎりぎりの人間としての辛酸をなめて、うちくだかれて、「人間」になった。そして、子どもたちとお互い一個の人間として向き合っている。改  めて自分で授業をやってみて、それが前とはまるで違った授業になった。それは灰谷さんが、教師でなく「ただの人」になったからではないでしょうか。私は、灰谷さんが、いまでも教師だという「傲語」を信用してないんです。

灰谷 子どもにものを教えるという意味での教師なら、たいへん傲慢な話になりますけれども、「子どもから学ぶ」という精神を終生、失いたくないという気持ちから、ぼくは教師だといってるんですね。これまで、いろいろなことを、こどもから教わってきた。人間が反抗するということの意味も楽天性ということの意味も、生命の平等感ということも、やさしさもなにもかも、こどもたちの「生」に触れて学ばせてもらった。そういう世界を、これからも失いたくない―そういう気持ちが、教師だ、教師だ、といわせているんでしょうね。ぼくは自分が子どもを裏切ることがいちばん怖い。子どもは真剣に生きているのに、自分はエスケープして、子どもを裏切るということがいちばん怖い。子どもを裏切ることは神を裏切るのと同じような気持ちがする。ぼくはもう大人であって、子どもじゃない。教師だということで、子どものテリトリーの内にかろうじておいてもらってるような気がするんですね。大人っていうのを全然、信用していないみたいなところが、ぼくにはあるんですね。

この本は、1979年に小学館から発行されたものに補筆したものというから、灰谷健次郎は40代半ば。林竹二は1906年生まれ。私が小学生だったころ。
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