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2014.12.09 (Tue)

<「感動というものが捏造されているように思います。」>

長江賢太郎さん(一緒に「場をひらく人講坐」を主催させていただいた
”恵み自然農園”の「けんけん」)の文章が
橋本久仁彦さんの行事ご案内に引用されていたので
行事ご紹介も兼ねてシェアさせていただきます。

この文章は今日、けんけんが橋本さんと吉橋にあてて
書いてくださったもの。

けんけんのおだやかな風貌からはちょっと想像できない
鋭さや力強さを感じて、しっかり地に足をつけて生きている人の文章は、
なんかすごく味わい深いなあ、とひどく感動していました。

=========橋本久仁彦さんのフェイスブックでのご投稿

新・縁坐影舞七番稽古ご案内
皆様へ。

明日10日水曜日は、「新・縁坐影舞七番稽古」の日です。

そのご案内に代えまして、
今年、岐阜県の恵那や愛知の名古屋で「場をひらく人講坐」を
共にしてきた長江賢太郎氏からいただいた言葉を、
有縁の皆様と分かち合いたいと思います。

僕にとって氏が発する言葉は、常にご自分の身体の内側に裏づけを持つ、
説得力のある言葉であり、僕が自分自身の生きる態度を見つめなおそうとする時の
定点観測地点として頼ることのできる力強さを備えた、「土が匂う言葉」です。

僕は、近年親しく見つめさせていただいた氏の生き様を尊敬しています。

以下の言葉には、改めて学ばせていただくところがありました。


「・・・この4回の講坐を通してたくさん気づくことがありましたが、
何より、以前に増して安心して生きられるようになってきたように思います。

「そのままでいい」ということが腹落ちしてきたような感じです。
各々が持ち寄った「場」をそのものとして大切に扱うことができれば、
自ずと「場」は「在る様に」運ばれていく安心感といったところでしょうか。

また美しいもの、惹かれるもの、というのは必ずしも?「巧く表現されたもの」ではないということ。

世間の概念では、巧みな技術や表現力など「比較」という座標軸の上でモノを見、人を見ることが
当たり前となっており、ある意味その「当たり前」によって感動というものが捏造されているように思います。

しかし、影舞いを通して私が見たものは、まぎれもなく、作られた表現という類のものではなく、
その触れている指の皮一点を通じて、「個」というこれまで別個だったものが、真剣な眼差しを通じて交流し、
ひとつの有機的な「なにか」に成っていく(生っていく)あり様でありました。

これは円坐で坐っていたり、ミニカンを通して俯瞰できる姿にも同じものを垣間見てきました。
(橋本さんの仰る通り、学校教育の現場ではまるで逆のことが行われていますね。。)

そこで問われる「真剣な眼差し」というものはどこからくるのか?

それはまさしく自分の在り様だとか、「自」に対する「他」をどのような存在として
認識しているのか?というようなことに規定されてくるのかなと思いますが、
まだまだ探索していかなければならない課題だと感じています。」


   穂高円坐で出逢って以来のよき道友です。
   もはや絆の切れることのない畏友を広く紹介できるという楽しみほど
   贅沢なことはないなと思います。

                            橋本久仁彦拝
   
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

新・縁坐影舞七番稽古は、以下の日程で開催する予定です。

 12月10日
 2015年1月14日
 2月18日
 
* いずれも水曜日19時から22時過ぎまで。
  途中退室OKです。お気軽にどうぞ。

参会費  一回3千円
会場 フェンススタジオ (大阪市西区)http://enzabutai.com/access.html

18:52  |  徒然
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