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2015.03.26 (Thu)

澄まし処@福岡にむけて

福岡をはじめ、佐賀・山口からも7人の方がご参加くださることになりました。
本当にご縁が有難いです。

ご案内文章を今読み直して、もう一度ここに掲載させていただこうと思いました。

「澄まし処(すましか)」
~“耳を澄ます聴き手”のはたらきを観察する会~について
(「澄まし処」のことを初めて耳になさる方をイメージして)

<「ゼロ」で居たら、の、確認>

今、コミュニケーションについてはたくさんの学びの場がありますね。

その多くは、知識や技術などを身につけ、トレーニングを重ねて、
自分がよりよくなることで、相手との関係性を改善していこうというもの、と捉えてよいと思います。入門編から上級編までの道筋があって、初心者がいれば上級者がいます。

私も長年、「よりよい自分」を思い描いて、
今の自分を見つめ、そのギャップを埋める、ということを良しとして
生きてきました。今もほぼ、そうしています。
まあ、実際ギャップは全然埋まらなくて、挫折してばかりですが…^^;。

「今も“ほぼ”、そうしている」と書いたのは、
そうじゃない時間を時々、持つようになったから。

例えば、相手の話を、質問せず、励ましもせず、意見もせず、
ただ耳を澄まして聴く。

一定の時間、「自分」をできるかぎり引っ込めて、
更地にして、ゼロになって、居る。
そうすると、相手はどんなふうになっていくでしょう。
相手と自分の関係は、どうなるでしょう。

コミュニケーションにおいて何をしたらいいか、を学ぶなら、
何もしなかったらどうなるか、という、ゼロ地点もみておくのは
興味深いことではないかなあと思います。
そして私にとっては、その世界は、とてつもなく豊かでカラフルです。

そこで私が「観察」してきたことから二つのことを、
ちょっと紹介してみたいと思います。
(今後もそうかどうかはわかりませんが…。)

<問わず語りから、自問自答へ>

語り手は、聴き手から何も問われないので
「問わず語り」に語っていきます
(ほんとの意味での「問わず語り」とはちょっとニュアンス違うかな)。
もちろん語らなくてもいい。

そうするとだんだんと不思議なことに、
自分で自分に問いかけるような言葉が出てきます。
そして問われれば、答えようとする動きが生まれます。
自然に。

<自分の中の、手つかずの森に入る>
一度口に出したみた言葉も、
より正確にフィットするように言いなおすような動きが出てきます。

その人独自の言葉、独自の感覚。
それを聴き手はそのまま聴きます。

そうしていると、語り手は「自分の中」と呼ばれる部分を
表現するようになっていきます。

…なっていきます、なんてなんか断定的でちょっとためらわれますが、
「伐採」(否定)されたり「植え直したり」(アドバイス)されない、
それは、「手つかずの森」「鎮守の森」みたいな感じです。
(「手つかずの森」「鎮守の森」は橋本久仁彦さん※の表現です。
参考:「くらすばオフィス」 
「お話、聴かせていただきました」のページ。)

<見えるものはさまざま、な「観察会」>
こうしたことを、実際の逐語記録を通して
丁寧になぞりながら「観察」していくのが「澄まし処」です。

この観察会、一人ひとり、「立っている場所」も「視力(観察眼)」も違うから、
きっと見えるものは様々です。
ある人に見えたものが他の人には見えないかもしれないし、
見えなかったものが後で見えるようになることも、あるかもしれません。
それを出し合ってみよう、という時間です。

そしてこの会は「耳を澄ます聴き方をしましょう!」という
方向性をもった会ではない、ということもお伝えしておきたいです。

あくまでも、どうなるか、を「観察」することが主眼であり、
それを皆さんが採用するかしないかについて、こちらは踏み込みません。
それに本当は聴き方というのは一人ひとり全部違うものですから…(^^)。

※「澄まし処」は、橋本久仁彦さんに学んでいる
「ミニカウンセリング・トレーニング」にならって行うものです。
橋本さんや、橋本さんの場でご一緒した皆様に感謝をこめて。

 くらすば (「暮らす場」の意味です)吉橋久美子
21:29  |  徒然
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